大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成4年(行ケ)207号 判決

東京都千代田区霞が関3丁目2番5号

原告

三井東圧化学株式会社

同代表者代表取締役

沢村治夫

同訴訟代理人弁理士

小池信夫

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 高島章

同指定代理人

渡邉順之

胡田尚則

吉野日出夫

市川信郷

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が平成3年審判第9991号事件について平成4年8月4日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、「磁気記録媒体用鉄化合物粒子の製造方法」と題する発明(以下「本願発明」という。)について、昭和55年2月5日、特許出願をした(昭和55年特許願第11999号)ところ、平成元年4月25日、出願公告された(平成1年特許出願公告第22204号)が、特許異議の申立てがあり、平成3年1月24日、上記申立ては理由がある旨の決定とともに拒絶査定を受けたため、同年5月24日、審判を請求した。特許庁は、この請求を平成3年審判第9991号事件として審理した結果、平成4年8月4日、上記請求は成り立たない、とする審決をし、その審決書謄本を、平成4年9月9日、原告に送達した。

なお、原告が出願公告後の平成2年3月22日付け及び平成3年6月21日付けでした各手続補正については、本願発明の前記出願公告時の明細書(以下「本願公告明細書」という。)の特許請求の範囲中の「磁気記録媒体用鉄化合物粒子の製造方法」とあるのを「磁気記録媒体用金属鉄粒子の製造方法」と補正する点において、いずれも特許請求の範囲を変更する場合に当たるとして、平成4年8月4日、いずれも却下された。

2  本願公告明細書の特許請求の範囲の記載

「Ca、BaおよびZnからなる群より選択される、周期律表第Ⅱ族に属する元素の1種もしくは2種以上の元素と、およびマンガンを副成分として含む微細な針状オキシ水酸化鉄粒子を用いて、加熱下に還元および/または酸化して微細な針状の磁気記録用強磁性鉄化合物粒子を製造する方法において、〈1〉上記周期律表第Ⅱ族元素の全量を鉄との原子重量比で0.001/100~10/100の範囲内で含むこと、また〈2〉Mnの含量が鉄との原子重量比で0005/100~10/100の範囲にある事を特徴とする磁気記録媒体用鉄化合物粒子の製造方法。」

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

(2)  昭和48年特許出願公開第67198号公報(以下「引用例」といい、引用例記載の発明を「引用発明」という。)には、約5重量%までの酸化鉄の特性に影響を与える他の金属イオン、例えばCo、Mn、Cr、Zn、Pb、Caその他を含む針状の水酸化酸化鉄、通常α-FeO(OH)を合成し、次いで加熱して、還元および/或は酸化により針状の磁気記録に使用される強磁性酸化鉄に変えること及び他の金属イオンの内Cr、Mn、Zn、Ni、Ca、Pbは水酸化酸化鉄の針状物の形および磁性酸化鉄への変換の条件に非常に影響すること、長く細い水酸化酸化鉄が本方法により得られ、この生成物は還元、変換の間高い温度安定性を示すことが記載されており、またその実施例5には、FeCl2140g/l、Zn1.4g/l、Mn0.86g/lの他、比較的少量のCr、Pb、Niを含む水溶液を使用して水酸化酸化鉄を沈澱させたことおよびこれを還元、変換したγ-Fe2O3は抗磁力360エルステッドを有することが記載されており、ここで使用された水溶液、したがって、沈澱した水酸化酸化鉄が、鉄100に対する原子重量比で、Zn2.3及びMn1.4を含むことが簡単な計算から明らかである。

(3)  本願発明と引用発明を対比すると、両者は、共に、ZnとMnを含む針状水酸化酸化鉄を用いて、加熱下に還元および/または酸化して、針状の磁気記録用強磁性鉄化合物粒子を製造する方法であって、水酸化酸化鉄と共存するZnとMnは水酸化酸化鉄の磁性酸化鉄への還元、変換過程に影響して、これに温度安定性を与える作用を有しているという点では共通している。

これに対し、引用発明は、Zn、Mnの他Cr、Pb、Niを含むのに対して、本願発明はZn、Mnのみを含むこと(相違点1)、Zn、Mnの鉄に対する原子重量比の範囲が引用例のそれを含む広い範囲を採用していること(相違点2)の2点で相違している。

(4)  相違点1、2についてみると、引用例には、Cr、Pb、NiはZn、Mnと同等な作用をすることが記載されているから、これらは適宜取捨・選択・組み合わせて使用し得るものであって、引用例の実施例5の方法においても、Cr、Pb、Niを除き、Zn、Mnのみを使用しても、作用効果に格別の差異は生じないものと理解するのが自然であり、また、引用発明の方法において、Zn、Mnを含む他の金属イオンの添加量範囲を多少増加又は縮小することは、実験データの集積等の結果として適宜になし得た範囲のことと認められる。

そして、本願発明と引用発明の方法により製造される酸化鉄粒子を比較すると、保磁力Hc、粒子の長さ対巾の比等の点でも格別の差異は認められない。

(5)  したがって、本願発明は、引用発明に基づいて当業者が容易に発明することができたものと認められるので、特許法29条2項により特許を受けることができない。

4  審決の取消事由

審決の認定判断のうち、審決の理由の要点(1)は争う、同(2)は認める。同(3)ないし(5)は争う。審決は、本願発明の要旨の認定を誤り、本願発明と引用発明が共に磁気記録媒体用の「酸化鉄粒子」を製造する方法である点において一致すると認定したが、本願公告明細書の特許請求の範囲の記載(以下、特にことわらない限り、本願公告公報に記載のものをいう。)の「磁気記録媒体用鉄化合物粒子の製造方法」の技術的意義は、「酸化鉄粒子」及び「金属鉄粒子」の両者についての製造方法を含むものであるから、原告が出願公告後にした「金属鉄粒子」に減縮した各手続補正は適法であり、その旨「磁気記録媒体用金属鉄粒子の製造方法」と要旨認定されるべきであるところ、被告は、本願発明は、前者のみの製造方法であると誤って本願発明を理解した結果、前記各手続補正を却下し、両発明は前記のとおり「酸化鉄粒子」を製造する方法である点において一致すると認定したものであるから、審決は、本願発明の理解を誤った結果、一致点を誤認し、ひいては相違点を看過したものであり、違法として、取消しを免れない。

すなわち、本願発明の要旨は、以下に述べるとおり、原告が平成3年6月21日付けで行った手続補正書に記載したとおりの「CaおよびBaより選択される、少なくとも1種の元素の無機塩とマンガンの無機塩とを副成分として含む微細な針状オキシ水酸化鉄粒子を用いて、加熱下に還元して微細な針状の磁気記録用強磁性金属鉄粒子を製造する方法であって、〈1〉上記周期律表第Ⅱ族元素の全量を鉄との原子重量比で0.001/100~10/100の範囲内で含むこと、また〈2〉Mnの含有量が鉄との原子重量比で0.005/100~10/100の範囲内にあることを特徴とする磁気記録媒体用金属鉄粒子の製造方法。」と認定すべきである。なお、上記手続補正に先立つ平成2年3月22日付け手続補正における本願発明の特許請求の範囲に関する補正の内容は、「Ca、BaおよびZnからなる群より選択される周期律表Ⅱ族に属する元素の1種もしくは2種以上の元素と、およびマンガンを副成分として含む微細な針状オキシ水酸化鉄粒子を用いて、加熱下に還元して微細な針状の磁気記録用強磁性金属鉄粒子を製造する方法であって、〈1〉上記周期律表第Ⅱ族元素の全量を鉄との原子重量比で0.001/100~10/100の範囲内で含むこと、また〈2〉Mnの含有量が鉄との原子重量比で0.005/100~10/100の範囲内にある事を特徴とする磁気記録媒体用金属鉄粒子の製造方法。」である。

まず、本願発明の特許請求の範囲にいうところの「鉄化合物粒子」とは、「酸化鉄粒子」のみを意味するものではなく、「金属鉄を主体とする鉄系の強磁性粒子」(より具体的には、「Ca、Ba、および/またはZn並びにMnで変成された金属鉄(α-Fe)」)をも意味するものであることは、以下の点から明らかなところである。

従来、磁気記録媒体用強磁性材料としては、〈1〉酸化鉄系(オキサイド系)の「Fe3O4、γ-Fe2O3等酸化鉄粒子」と金属鉄系(変成メタル系)の「変成金属(α-Fe)粒子」の大きな2つの流れがあった。そして、これらは別々に開発され、特許出願も1つの出願で行われることはなく、区別されて行われてきた。しかるところ、原告は、上記の各材料は基本的に共通の技術的構成を有し、したがって、共通性のある技術的思想として取り扱い得ることを見いだした。そこで、前記の酸化鉄系粒子と金属鉄系粒子を同一の出願で行うために、両者を包含する概念として「鉄化合物粒子」なる用語を使用したものである。そして「鉄化合物粒子」なる用語は上記のような技術の流れの中において正確に理解できるものであり、当業者であるならば、当然に前述した従来の酸化鉄系粒子及び金属鉄系粒子の両者を包含するものとして、「鉄化合物粒子」の技術的意義を理解することが可能なものである。

してみると、原告が平成2年3月22日付け及び同3年6月21日付けで行った前記内容の各手続補正は、特許請求の範囲を「・・・を特徴とする磁気記録媒体用鉄化合物粒子の製造方法。」から「・・・を特徴とする磁気記録媒体用金属鉄粒子の製造方法。」と補正したものであるから、これが特許請求の範囲の減縮に当たることは明らかであり、いずれも適法なものである。そうすると、本願発明の要旨は、上記の各手続補正を踏まえると、「・・・を特徴とする金属鉄粒子の製造方法」と認定されるべきであるから、かかる本願発明が「酸化鉄粒子の製造方法」に係る引用発明と異なることは明らかであるにもかかわらず、審決は、「両者はいずれも酸化鉄粒子の製造方法である点において共通する」と認定したもので、この一致点の認定が誤りであることは明らかである。以上のように、審決は、本願発明の技術的意義の理解を誤った結果、いずれも適法な前記の各手続補正を却下するとともに、本願発明を「酸化鉄粒子」に係る発明と誤って要旨を認定し、ひいては引用発明との対比判断を誤ったものであるから、違法として取消しを免れない。

第3  請求の原因に対する認否及び被告の主張

請求の原因1ないし3は認めるが、同4は争う。審決の認定判断は正当である。

本願発明の特許請求の範囲記載の「鉄化合物粒子」の意義は、化学常識に従い、「鉄酸化物等の鉄化合物粒子」のみを意味し、「金属鉄粒子」を含まないことは、一義的に明白であるから、これを原告主張のように、「磁気記録媒体用金属鉄粒子の製造方法」と認定すべき根拠はない。すなわち、この点を詳しく述べると、本願発明の特許請求の範囲の記載における「磁気記録媒体用鉄化合物粒子」は、用途、技術分野を特定する「磁気記録媒体用」との部分と材料を特定する「鉄化合物粒子」との部分に分けて理解することができるところ、磁気記録媒体の分野において、一般に、「鉄化合物粒子」の用語が、それ以外の分野において通常使用され、理解される意義とは異なる意義を有するものとして使用されているという事実がある場合及び特別の意義を有するものとして使用する旨定義又は意思表明がされている場合以外は、その通常の意義を有するものとして理解されるべきであることは、特許法施行規則24条、様式第16〔備考〕8の規定を見るまでもなく、明らかなことである。

そして、2種以上の元素の原子が化学結合によって生じた「化合物」と元素が全く異なる概念、意義を有する用語であることは、周知の事項であって、両者が混同使用されることはあり得ないことである。したがって、このことからすると、「鉄化合物粒子」の用語が「金属鉄粒子」(金属、合金)を含む意義を有するものとして使用されることは通常あり得ないことであるから、もし、本願発明の特許請求の範囲中の前記「鉄化合物粒子」が「金属鉄粒子」を包含するものとして理解されるためには、明細書中にこの旨が明確に定義され、表明されていなければならない。しかしながら、本件においては、「鉄化合物粒子」が「金属鉄粒子」をも包含するものとして理解されるための上記のような事情は認められない。

原告は、この点について、本願発明の特許請求の範囲中の「磁気記録媒体用鉄化合物粒子」は、従来、磁気記録媒体用強磁牲材料において、2つの異なる系統として扱われていた酸化鉄系(オキサイド系)の酸化鉄粒子と金属鉄系(変成メタル系)の変成金属(α-Fe)粒子の両者を包含する意味を有するものとして原告により創出された用語であると主張する。しかし、原告の意図が上記のようなところにあるとしても、前記「鉄化合物」なる用語の選択は明らかに適切ではなく、原告の上記意図が、本願公告明細書に十分に表出され、その記載から、前記の用語が、原告の意図する意義を有するものとして一義的に理解されるとは到底解されない。

しかも、前述のように、「鉄化合物粒子」とは、通常使用される場合には、「金属鉄粒子」を含まないことは明らかであって、前者の用語が後者の意義を包含すると解する特段の事情は本件においては、全く存しない。

したがって、原告のした前記の各手続補正はいずれも特許請求の範囲を変更する場合に該当することは明らかであるからいずれも不適法であり、本願公告明細書に記載された特許請求の範囲の記載に基づき、本願発明の要旨を「磁気記録媒体用鉄化合物粒子の製造方法」であると認定して、これを引用発明と対比して、両者共、「磁気記録用強磁性鉄化合物粒子を製造する方法」である点で一致するとした審決の認定に誤りはない。

第4  証拠

証拠関係は書証目録記載のとおりである。

理由

1  請求の原因1ないし3は当事者間に争いがない。

2  本願発明の概要

成立に争いのない甲第5号証(本願発明の出願公告公報)によれば、本願公告明細書には、本願発明の技術分野並びに目的、構成及び作用効果等について、以下の各記載がある。

〈1〉  本願発明の技術分野に関して、「本発明は、微細な粒子形状を有する強磁性鉄化合物の製造方法に関する。更により詳しくは磁気記録用強磁性鉄酸化物Fe3O4、γ-Fe2O3および/または金属(α-Fe)微粒子の製造法に関する。」(1欄14行ないし18行)、

〈2〉  従来技術の問題点に関して、「これら従来の針状鉄化合物製造法の欠点としては(イ)微細な針状オキシ水酸化鉄粒子を還元性ガスにより接触反応させて針状Fe3O4粒子を形成させた場合、また更に(ロ)該針状Fe3O4粒子を酸性化ガスにより処理して針状γ-Fe2O3粒子とする場合、(ハ)微細な針状オキシ水酸化鉄粒子および/または鉄酸化物粒子から、還元性ガスによる接触反応によりα-Fe粒子を形成せしめる場合において、原料としたオキシ水酸化鉄粒子および/または鉄酸化物粒子の殆んど大部分が微細な針状形態を有していても、酸化性ガスおよび/または還元性ガスによる接触反応の結果、粒子の破損、破壊更には焼結が不可避的に生ずることである。その結果、該微粒子の磁気特性の著しい劣化、すなわち保持力、飽和磁化率、残留磁化率、角形比の低下をもたらし、磁気記録用強磁性鉄化合物に要求される性状を大きく損なつている。」(2欄7行ないし23行)、

〈3〉  本願発明の目的に関して、「本発明の目的は、このような粒子の破壊が起こらない強磁性鉄化合物微粒子の製造法を提供することである。」(2欄末行ないし3欄2行)、

〈4〉  本願発明の構成に関して、「本発明者等は、さきに、周期律表第Ⅱ族に属する元素から選ばれた1種もしくは2種以上の元素を含む微細な針状オキシ水酸化鉄微粒子、またはマンガンを含む微細な針状オキシ水酸化鉄微粒子が極めて良好な原料適性を示し、既述の還元および/または酸化反応によつて粒子形態の破損、破壊更には焼結を殆んど発生させない事実を見い出し、既に特許出願した。その後更に検討を重ねた結果、該周期律表第Ⅱ族元素およびマンガンを同時に微量乃至は少量の副成分として導入した微細な針状オキシ水酸化鉄微粒子が、磁気記録用強磁性鉄化合物、すなわち、Fe3O4、γ-Fe2O3あるいはα-Fe、とりわけ後者の原料としての適性に富み、これを用いて針状度の大きい良好な粒子形態を有する強磁性鉄化合物を製造し得る事を見い出し、本発明を完成した。」(3欄3行ないし19行)、

〈5〉  本願発明の奏する作用効果に関して、「本発明の方法に従つて、周期律表第Ⅱ族元素およびMnを副成分として含む針状オキシ水酸化鉄微粒子を原料として用い、上記気固接触反応によつて得た強磁性酸化鉄(Fe3O4、γ-Fe2O3)および金属鉄(α-Fe)微粒子の形態は、高倍率の電子顕微鏡観察によれば、原料とした針状オキシ水酸化鉄微粒子の形態を殆んど完全に保持しており粒子の破損・破壊、更には粒子間架橋すなわち焼結の様な現象は殆んど見られない。更に強磁性鉄化合物の磁気特性も、例えば保持力(Hc)で見ると、粒子の大きさや針状比によつても変わるがFe3O4およびγ-Fe2O3の場合、Hc=350~550Oe、また、α-Feの場合Hc=1000~1500Oeと極めて高いHcを有し、磁気記録媒体用強磁性鉄化合物に要求される性状をよく満足させるものである。このように、本発明の方法による微細な針状オキシ水酸化鉄微粒子は、耐熱特性が顕著に向上しているので針状性良好なα-Feが得られる。このα-Feを磁気記録媒体として使用し、近年において要求されている高密度化記録可能な、また高周波領域での記録特性の大巾な向上が可能な磁気記録テープ、磁気記録カード等を得ることができる。」(6欄9行ないし32行)

3  取消事由について

原告は、本願発明の要旨認定を争い、一致点の認定は誤りであると主張するので、以下、この点について検討する。

(1)  前掲甲第5号証によれば、本願公告明細書に記載された本願発明の特許請求の範囲の記載は、請求の原因2項記載のとおりであると認められる。

そして、原告は、上記特許請求の範囲の記載中の「磁気記録媒体用鉄化合物粒子」には、「酸化鉄粒子」のみならず「金属鉄粒子」も含まれるから、これを「金属鉄粒子」のみに減縮した前記各手続補正はいずれも適法であり、したがって、「鉄化合物粒子」に「金属鉄粒子」が含まれないとの理解に基づいてされた前記の各補正却下及び審決の要旨認定はいずれも誤りであると主張するものであることは、その主張の趣旨に照らして明らかである。

(2)  ところで、特許出願に係る発明の要旨の認定は、特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは一見してその記載が誤記であることが発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの、発明の詳細な説明を参酌することが許される特段の事情のない限り、特許請求の範囲の記載に基づいて行うべきものである(最高裁平成3年3月8日第2小法廷判決・民集45巻3号123頁)から、以下、かかる観点から検討する。

(3)  そこで、まず、本願発明の前記「磁気記録媒体用鉄化合物粒子」の技術的意義について検討する。

成立に争いのない甲第19号証(玉虫文一他編「岩波理化学辞典」第3版増補版、1981年2月24日株式会社岩波書店発行)の「化合物」の項には、「純粋物であるが、化学変化によって2種またはそれ以上の元素の単体に分けることができるもの.あるいは、2種以上の元素の原子の化学結合によって生じた純粋物といってもよい.各元素の組成比は一般に定比例の法則に従って一定であり、この点で混合物と区別されるが、不定比化合物のように組成比がある範囲で連続的に変化しても安定な結晶をつくるものはふつう化合物に含められる.また侵入型化合物の一部や合金の系などでは、化合物と固溶体との区別が明確につけにくいこともある.」(236頁右欄下から6行ないし237頁左欄5行)との記載を認めることができる。

以上の記載によれば、「化合物」とは、2種以上の元素の原子の化学結合によって生じた純粋物をいうものと解するのが相当であるところ、上記刊行物は本出願の約1年前に刊行されたものではあるが、「化合物」なる概念が古くからある化学の基礎的な概念であることは公知の事実であることからみて、「化合物」の意義については、上記の理解が本出願前における当業者の一般的な認識であったものと認めるのが相当である。

もっとも、上記の記載中には、合金の系などにおいては、化合物との区別が明確ではない場合もある旨の指摘があるところ、成立に争いのない乙第1号証(昭和54年特許出願公開第122663号公報)には、「主成分が鉄である、磁気記録用磁性粉末の製造方法」と題する発明に関し、

「鉄若しくは鉄を主成分とする磁性粉末」(特許請求の範囲)を、「強磁性金属および合金」(1頁左欄下から6行ないし2行)と、また、同乙第2号証(昭和50年特許出願公開第24799号公報)には、「磁性体の製造法」と題する発明に関し、「磁性金属粉体」を「金属」又は「合金」(1頁右欄下から9行ないし末行)と、それぞれ称している事実が認められるから、この事実に合金に関する前記の記載を対比すると、「鉄若しくは鉄を主成分とする磁性粉末」及び「磁性金属粉体」、すなわち、本願公告明細書記載の「金属鉄粒子」が合金、ひいては化合物と称される可能性もなくはないから、更にこの点をみると、前掲甲第19号証の「合金」の項には、「2種以上の金属をそれぞれの融点以上の温度で混合したものを冷却して凝固させたもの.金属のほかに炭素、ケイ素などの非金属を少量に含むものもある.合金の組織状態には固溶体、共融混合物、または化合物(金属間化合物)をつくる場合、あるいはそれらの混合物をなす場合などがある.たとえば銅とニッケル、金と白金などはすべての割合に均一に融和して固溶体をつくるが、アルミニウムと銅、銅とスズ、マグネシウムと銀などは混和の割合により固溶体、金属間化合物、あるいはそれらの混合物となる.合金の諸性質はこの組織状態により大いに異なる.したがってある金属に適当の成分を適当の割合に配合することにより各成分の金属の性質とは異なる物理的、化学的性質を与え、その実用価値を増進させることができる.」(431頁左欄下から10行ないし右欄5行)との記載が認められ、この記載によれば、合金の中で化合物といえるのは金属間化合物の場合であるところ、上記の記載からも明らかなように、金属間化合物を構成する場合は例外的な場合である上、本件全証拠を検討しても、本願公告明細書記載の「金属鉄粒子」が金属間化合物を構成することを認めるに足りる証拠もない。

したがって、合金の中に化合物である金属間化合物が存するからといって、化合物の技術的意義に関する前記の一般的な理解が直ちに不明瞭となるものとはいえないというべきである。

そこで、以上を踏まえて、本願発明の前記「磁気記録媒体用鉄化合物粒子」なる用語の意義についてみると、「磁気記録媒体用」なる部分は、これに続く「鉄化合物粒子」の用途を限定したものであることは一義的に明確であり、そして、「鉄化合物」なる用語は、前記の金属間化合物のような例外的な場合を包含することを窺わせる証拠もない本件においては、「化合物」に関する上記の一般的な理解に従って、「鉄と鉄以外の元素の原子が化学結合して生じた純粋物」を意味するものと解するのが相当であり、さらに「粒子」は「鉄化合物」の物理的状態を限定した趣旨であることは明らかであり、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

これに対して、「金属鉄粒子」は、鉄の元素のみから成る粒子であるから、これが「鉄化合物」に含まれないことは上述したところから一義的に明らかであるというべきである。

(4)  原告は、本願発明の特許請求の範囲の「鉄化合物粒子」とは、磁気記録媒体用強磁性材料として、従来は、酸化鉄系(オキサイド系)の「Fe3O4、γ-Fe2O3等酸化鉄粒子」と金属鉄系(変成メタル系)の「変成金属(α-Fe粒子」の2つの流れがある中で、原告は、上記の各材料を共通性のある技術的思想として取り扱い得ることを見いだしたことから、両者を包含する概念として「鉄化合物粒子」なる用語を使用したものであって、「鉄化合物粒子」なる用語は当業者であるならば、当然に、酸化鉄系粒子及び金属鉄系粒子の両者を包含するものとして理解すると主張する。

そこで、上記主張について検討すると、上記の主張は、磁気記録媒体用強磁性材料製造の技術分野においては、「鉄化合物粒子」の用語は「金属鉄粒子」を包含するとの一義的な理解が本出願前において当業者間に確立していたとの趣旨と、本願公告明細書の発明の詳細な説明において、「鉄化合物粒子」の中に「金属鉄粒子」を包含せしめるものとして使用する旨定義したものとみることができるとの趣旨を含むものと解することができるので、以下、項を改めて、順次、検討する。

(5)  まず、磁気記録媒体用強磁性材料製造の技術分野において、「鉄化合物粒子」の用語が「金属鉄粒子」を包含するとの一義的な理解が当業者間に確立していた旨の主張について検討する。

〈1〉  いずれも成立に争いのない甲第6、第7号証の各1によれば、本出願に対する特許異議申立人である中野宗昭及び同和鉱業株式会社は、いずれも本願発明が酸化鉄粒子のみならず金属鉄粒子をも含むものと理解した上で、異議の理由として、金属鉄粒子の製造方法に関する刊行物を援用し、本願発明が容易に想到し得たなどの異議理由を記載した書面を提出した事実を認めることができ、また、同甲第8号証によれば、本出願に対する上記の特許異議を審査した特許庁審査官は、本願発明が金属鉄粒子の製造方法を包含するものと理解した上で、その進歩性を否定する判断を示したことが認められ、これを左右する証拠はない。

〈2〉  いずれも成立に争いのない甲第9号証、同甲第10、第11号証の各1によれば、原告の出願した昭和55年特許願第13574号発明(以下「関連発明A」という。)の特許請求の範囲には、「AlおよびP元素を副成分として含む微細な針状オキシ水酸化鉄微粒子を用いて、加熱下に還元および/または酸化して微細な針状の磁気記録用鉄化合物粒子を製造する方法において、AlおよびPをFeとの原子重量比でそれぞれ

Al/Fe=0.05/100~5/100

P/Fe=0.05/100~5/100

の範囲内で含有させる事を特徴とする磁気記録用強磁性鉄化合物微粒子の製造方法。」との記載があること、上記の特許出願に対する特許異議申立人である石原産業株式会社及び東ソー株式会社の両社は、関連発明Aが酸化鉄粒子のみならず金属鉄粒子をも含むものと理解した上で、異議の理由として、金属鉄粒子の製造方法に関する刊行物を援用し、関連発明Aが容易に想到し得たなどの異議理由を記載した書面を提出した事実を認めることができ、また、同甲第12、第13号証によれば、石原産業株式会社の上記特許異議の申立てを審査した特許庁審査官は、関連発明Aの前記特許請求の範囲を「AlおよびP元素を副成分として共沈により含有した微細な針状オキシ水酸化鉄微粒子を用いて、加熱下に還元して微細な針状の磁気記録用金属鉄微粒子を製造する方法であつて、AlおよびPをFeとの重量比でそれぞれ

Al/Fe=0.05/100~5/100

P/Fe=0.05/100~5/100

の範囲内で含有させる事を特徴とする磁気記録用強磁性金属鉄微粒子の製造方法。」とする補正を適法とした上で、上記異議申立人が提出した刊行物記載の発明と同一発明であるとして、前記異議申立ては理由がある旨の決定をするとともに関連発明Aに係る出願に対し拒絶査定をしたこと、さらに、特許庁の審判合議体は、上記拒絶査定に対する審決において、上記の手続補正を適法した上で、前記の同一発明であるとの判断は誤りであるとして、関連発明Aは特許すべきものとする審決をしたこと、以上の各事実を認めることができ、他にこれを左右する証拠はない。

〈3〉  いずれも成立に争いのない甲第14号証、同第15、第16号証の各1によれば、原告の出願した昭和54年特許願第153595号発明(以下「関連発明B」という。)の特許請求の範囲には、「第1鉄塩あるいは第1鉄塩と第2鉄塩との混合物を主成分とし、Mg、CaおよびBaからなる群より選択される、周期律表第Ⅱ族に属する元素の1種もしくは2種以上の元素の化合物を副成分として用いて、アルカリとの湿式中和反応および酸化反応によりオキシ水酸化鉄微粒子を製造し、次いでこのものを水洗、濾過乾燥して、オキシ水酸化鉄微粒子粉末あるいは顆粒を製造し、このものを加熱下に還元および/または酸化させて磁気記録用強磁性鉄化合物粒子粉末あるいは顆粒を製造するに際し、上記周期律表第Ⅱ族に属する元素を鉄との原子重量比で0.001/100~10/100の範囲内で含ませる事を特徴とする磁気記録用強磁性鉄化合物粒子の製造法。」との記載があること、上記の特許出願に対する特許異議申立人である山本芳成及び石原産業株式会社の両名は、関連発明Bが酸化鉄粒子のみならず金属鉄粒子をも含むものと理解した上で、異議の理由として、金属鉄粒子の製造方法に関する刊行物を援用し、関連発明Bが容易に想到し得たなどの異議理由を記載した書面を提出した事実を認めることができ、また、同甲第17、第18号証によれば、石原産業の上記特許異議申立てを審査した特許庁審査官は、関連発明Bの前記特許請求の範囲を「第1鉄塩あるいは第1鉄塩と第2鉄塩との混合物を主成分とし、Mg、CaおよびBaからなる群より選択される、周期律表第Ⅱ族に属する元素の1種もしくは2種以上の元素の化合物を副成分として用いて、アルカリとの湿式中和反応および酸化反応によりオキシ水酸化鉄微粒子を製造し、次いでこのものを水洗、濾過乾燥して、オキシ水酸化鉄微粒子粉末あるいは顆粒を製造し、このものを加熱下に還元させて磁気記録用強磁性金属鉄粒子粉末あるいは顆粒を製造するに際し、上記周期律表第Ⅱ族に属する元素を鉄との原子重量比で0.001/100~10/100の範囲内で含ませ、かつ該オキシ水酸化鉄微粒子粉末あるいは顆粒を、Fe3O4を生成させることなく金属鉄粒子にまで直接還元させる事を特徴とする磁気記録用強磁性金属鉄粒子の製造法。」とする補正を適法とした上で、異議申立人が提出した刊行物記載の発明と同一発明であるとして、上記異議申立ては理由がある旨の決定をするとともに関連発明Bに係る出願に対して拒絶査定をしたこと、さらに、特許庁の審判合議体は、上記拒絶査定に対する審決において、上記の手続補正を適法とした上で、前記の同一発明であるとの判断は誤りであるとして、関連発明Bは特許すべきものとする審決をしたこと、以上の各事実を認めることができ、他にこれを左右する証拠はない。

〈4〉  以上に認定した〈1〉ないし〈3〉の各事実によれば、関連発明A及び同Bの各出願と本出願とは、同一技術分野のしかも極めて類似した内容の発明であるといって差し支えがないところ、上記の各出願に接した各異議申立人並びに特許庁審査官及び審判官等は、いずれも前記各出願における特許請求の範囲に記載の「磁気記録媒体用鉄化合物粒子」(本願)、「磁気記録用強磁性鉄化合物粒子」(関連発明A及びBに係る出願)の用語に「磁気記録媒体用金属鉄粒子」ないし「磁気記録用強磁性金属鉄粒子」が包含されるものと理解していたと推認し得る。

しかしながら、前掲各証拠を検討しても、前記の各当業者が前記各発明の特許請求の範囲記載の用語を上記のように理解したことが合理的であると認めるに足りる根拠は示されていない。また、前記の各当業者、特に異議申立人においては、磁気記録用金属鉄粒子の製造方法に係る発明が当該発明の詳細な説明中に言及されている発明である以上、それが当該発明の特許請求の範囲に包含されるか否かを厳密に吟味することなく、異議理由においてこの点についても言及することは十分に予想し得るところであるし、さらに、前記各発明の審査を担当した特許庁の審判官及び審査官についても、上記各発明に係る発明の明細書の詳細な説明を参酌した結果、各発明についての前記理解に至ったことも十分に予想され得ることからみて、特許異議申立人や担当審判官等の前記のような言動をもって、「鉄化合物粒子」に「金属鉄粒子」が包含されるとの技術的理解が当業者間に一義的に確立していたことの根拠とするにはなお薄弱であるといわざるを得ない。また、前掲乙第1、第2号証及びいずれも成立に争いのない甲第22ないし第77号証によれば、昭和41年以降の出願に係る本願発明と同一技術分野の磁気記録材料に関する発明についての58件の特許出願においては、特許請求の範囲の記載に「酸化鉄粒子」、「酸化鉄粉末」、「磁性鉄粒子」、「金属粉末」等の用語が使用されていたことは認められるが、「鉄化合物」なる用語を使用して特許請求の範囲の記載をした例は存在しなかった事実が認められ、この事実に照らしてみても、「鉄化合物」に関して、原告主張のような技術的な理解が当業者間に確立していたものとまで認めることは困難であるといわざるを得ない。

そうすると、「鉄化合物」の一般的な技術的意義が(3)項に説示したように一義的に明確であることに照らしても、上記の各事実をもって、これと異なる原告主張のような技術的意義が当業者間に確立していたものと解することは到底困難であるいわざるをえない。

〈5〉  したがって、この点に関する原告主張は採用できない。

(6)  次に、本願公告明細書の発明の詳細な説明において、特許請求の範囲記載の「鉄化合物粒子」の中に「金属鉄粒子」を包含せしめる旨定義したといえるか否かについて検討する。

昭和56年1月30日通商産業省令第7号による改正前の特許法施行規則24条、様式第16〔備考〕8は、「用語は、その有する普通の意味で使用し、かつ、明細書全体を通じて統一して使用する。ただし、特定の意味で使用しようとする場合において、その意味を定義して使用するときは、この限りではない。」と規定するところである。

これを本件についてみると、「鉄化合物粒子」がその普通の意味において「金属鉄粒子」を含まないことはこれまで説示してきたところから明らかであり、そして、前掲甲第5号証によって本願公告明細書を精査しても、本願公告明細書の発明の詳細な説明の欄には、「鉄化合物粒子」の用語が、「酸化鉄粒子」のみならず「金属鉄粒子」をも包含する概念である旨定義した明示的な記載を見いだすことはできない。

ところで、特許請求の範囲の記載は、特許出願人がその発明した技術的思想について、特許権による保護を求める範囲を自己の自由な意思に基づき画定して示したものである以上、それが発明の詳細な説明の記載に以拠しなければならないものではあるにしても、発明の詳細な説明における技術的思想の開示とは明確に区別されなければならないものである。そこで、これを本件についてみると、前記2項に認定したとおり、本願公告明細書の発明の詳細な説明中には、「酸化鉄粒子」に関する発明のみならず「金属鉄粒子」に関する発明も開示されていることは明らかである。しかしながら、この両者の発明のいかなる範囲について特許権による保護を要求するかは出願人である原告において自由に画定し得た事柄である以上、前記のとおり、普通の意味においては「酸化鉄粒子」のみを意味する「鉄化合物粒子」なる用語を使用しながら、さらにこの用語に「金属鉄粒子」を包含せしめるのであるならば、少なくともその旨の原告の明示的な意思表示、すなわち用語の使用法に関する定義によって明らかにすることが必要であり(通常の意味に反する用語の定義が前記施行規則にいう「特定の意味に使用しようとする場合」に該当するかについてはなお検討の必要がある。)、出願人のかかる意思が読み取れない以上、「金属鉄粒子」を包含するものと解することはできないというべきである。しかるに、このような明示的な意思表示が認められないことは、前記認定のとおりであるから、この点に関する原告主張も採用できない。

(7)  以上の次第であるから、本願発明の特許請求の範囲に記載の「磁気記録媒体用鉄化合物粒子」とは、「磁気記録媒体用酸化鉄粒子」を意味するものといわざるを得ないから、これと同様の理解の下に、上記記載を「金属鉄粒子」とする補正が要旨の変更に当たるとしてされた前記の各補正却下に誤りはなく、また、同様の理解に基づいてされた審決の要旨の認定は正当というべきである。

(8)  そして、引用例に審決の理由の要点(2)記載の技術的事項の記載があることは当事者間に争いがなく、この争いのない事実によれば、本願発明と引用発明が「磁気記録媒体用酸化鉄粒子」である点において一致することは明らかであり、また、原告は、審決認定のその余の一致点については明らかに争わないところであるから、結局、審決の一致点の認定に原告主張の誤りはないというべきである。

(9)  以上の次第であるから、取消事由は理由がなく、審決に原告主張の違法はない。

4  よって、本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 関野杜滋子 裁判官 田中信義)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例